美香の雑記帳

洗礼を受けて5年のクリスチャンです。病気を色々抱えていて病気と信仰についてよく考えています。機能不全家庭に育ったACでもあります。

褒められやすい場所

ツイッターっていいねやリツイートで自分の言論の価値が可視化されやすいし、すなわちちょっと危険な意味での承認欲求が満たされる場所で、何か難しいなあと思ったりする。

CSルイスが言ってたんだけど「褒められるのを喜ぶことは自然だが、自分は立派なのではないかと思い始めることに悪魔の罠がある」って…。難しいなあ

褒められるのを喜ぶことと自分は立派なのではないかと思うことの区別ってなんだろう。

「知識は人を昂らせ、」という聖書箇所を鵜呑みにして知識を避ける人なんていないよね?

としたら、「褒められるのを避ける」というのも同等に不自然なのではないか?

わたしは文章を書くのが好きで、義務教育時代から結構褒められてきたのでそこに自分のプライドがあると思う。

プライドや驕りは捨てたい!でも自分の文章を「好き」って言ってくれる人がいて、それはとても嬉しかった。

自分なんかの文章で癒される人がいるんだ…って。

プライドや驕りは捨てれたとしても、誰かに否定されても、わたしはこう言えたらいいなって思う。「わたしは、わたしの文章が、好き」。

PS:そしてマリみてにはこんな名言がある。「必要以上に自分を高く見せる必要なんてないの。でも、持っているものを隠すのはもったいないことでもあるわよね?」

 
 

ADDの診断を受けた/「強迫性障害は神経症」と言われて悔しい

ADD(注意欠陥障害)の診断を受けた。今朝、北里大学東病院で。上位2%くらいのADDかもね、と言われた。(自分でも自分は重度だろうと感じていた)

 

それはいいのだけど、精神科医と話して傷ついたことがある。

 

強迫性障害神経症。子供時代の家庭環境が関係している」と言われたこと。わたしは物心ついた頃には既に強迫性障害の症状があって、縁起恐怖などメジャーなものもあるけど、人に言っても理解されないだろうな・・・と思っているものに「喋れない、書けない、出来ないと思った途端頭の回転がストップして喋れなくなる書けなくなる出来なくなる」というものがある。

 

強迫性障害、喋ってても分からない」と言ってくれる人もいるけど、ツイートを見るだけでも薬飲んでない時のツイートは句読点や言葉にぎこちなさが出てるなと思う。(私的に。分からないものなのかな)

 

物心ついた時からずっとそうで、家族や友達と喋れなかったり空気を読まない発言をして怒られたり、剣道の試合ですごく変な試合をして負けて仲間に馬鹿にされたり色々苦しかった。(緊張でパニックとかとは全然違います)

 

強迫性障害は脳の気質障害です」という文言を本に見つけたから「先天性の発達障害とかと一緒で一生治らない「障害」なんだ」と納得していた。

 

しかし昨今、ネットで「発症した」「完治した」という言葉を見かけるようになった。発症?完治?どういうこと?なったり治ったりするものなの?わたしは20数年間ずっとだよ、って思った。

 

先天性の人もきっといる・・・わたしだけじゃない、って思ったけど、今日医者に「家庭環境」って言われた。そんな訳あるか・・・って思った。

 

精神疾患神経症としての強迫性障害もあるのだろうし(いや、そっちの方が多数派かも知れない)なったり治ったりする人もいるんだろう。でもそれが全ての人だと言わないで欲しい・・・。

 

一生苦しむ人だっているはずだ。認知療法や行動療法、暴露療法だって知っている。それで軽減する人もいるかも知れないが、症状を取り除いたところで、他の症状が出てくるだけ。(鞄が床に置けるようになっても、今度は病気になるんじゃないかという強迫観念でうつ状態になったりする)あっちを引っ込めてもこっちが出るだけだ。

 

神経症精神疾患としての後天的な「強迫症状」と、先天的な脳の気質障害としての「強迫性障害」は別にならないのだろうか・・・。

 

ある日発症して一生治らない、後天的な強迫性障害の人もいるだろう。後天的な強迫性障害は障害として認めない!とかじゃなくて、

 

すべての人が治ると言わないで。「神経症」って言われたら「性格の問題、いつか治る」って言われてるみたいじゃないですか・・・。

 

いや、わたしがおかしいのだろうか。わたしだけ、生まれつきで、他の人たちは「克服出来る」のだろうか。

 

つまり、わたしは自分は例外なのか、自分はおかしいのか、って考えるのが怖いんだ。わたしはおかしいのだろうか、強迫性障害はもしかして「治る病気」なのだろうか・・・。

 

ていうか発達障害の診断に行ったのに何で強迫性障害についてあれこれ言われるんだよ聞いてねえよ・・・。

 

いまはSSRIを飲んでいるが、何か色々キツくて止めるつもり。そうしたらまた元通り、喋れなくなる、人に会えなくなる、そういうのがどんなにきついか、「障害だから仕方ない」って言い聞かせてたのに、精神疾患だからいつか治ると言われたら何か気持ちのやりどころがない。

 

 

にわかからガチ勢になりつつあるわたしがマリみての魅力について語ってみる

マリア様の庭に集う乙女たちが今日も天使のような無垢な笑顔で背の高い門をくぐり抜けていく。汚れを知らない心身を包むのは深い色の制服。スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは乱さないようにゆっくりと歩くのがここでのたしな....

 

ごきげんよう。

 

マリア様がみてる』。タイトルを知らない人はそんなにいないのではないのではないだろうか。

このブログを見ているみなさんは『マリみて』にどんな印象をお持ちであろう。百合アニメ。わたしはそう思っていた。カトリック女学園に入った平凡で個性のない女の子が、容姿端麗で超人の上級生とひょんなきっかけで出会い、学園生活にひと波乱もふた波乱も起こす物語。

そして何より、その超人の上級生に曲がったタイを結び直される名シーン。

 

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 アニメ界隈に非常に疎いわたしでも、そのくらいは知っていました。

 

肝心なのはマリみては百合好き限定アニメではないこと。少女小説が原作ということで、どちらかというと”乙女心をくすぐる”設定に重心が置かれていると感じます。

 

純粋培養お嬢様たちが集まる幼稚舎から大学まで一環のカトリック女学園。アイボリーのセーラーカラーに黒いローウエストのワンピースという古風なデザインの制服。潔癖な思春期の時代を過ごす少女たちに訴えかけてくる、異性愛の入り込んでこない、純粋な「姉妹愛」「真実の友情」に彩られた作風の世界観。

 

そしてなにより「姉妹(スール)制度」。

 

姉妹制度は、生徒の自主性を尊重しようとする学校側の姿勢から生まれた制度といえる。姉が妹を導くがごとく先輩が後輩を指導することによって、特別厳しい校則がなくとも、リリアンの清く正しい学園生活は受け継がれてきた。

いつの頃からか、姉妹(スール)という言葉は、個人的に強く結びついた二人を指すようになっていった。ロザリオの授受を行い、姉妹となることを約束する儀式がいつ頃から行われるようになったかは定かではない。

 

「スール」はフランス語で、シスター(修道女)と混同しないように英語を避けたことが由縁だそうです。

 

ちなみに日本でも「姉妹制度」そっくりの「エンジェル制度」というものを取り入れている学校が幾つかあるそうです。上級生が特定の下級生のお世話をする制度で、もとはイギリスのパブリックスクールから始まったそう。

 

次回から、マリみては凄いんだぞ、ということを少しずつ語っていきたいと思います。(小説も大好きですが、今回はアニメの方に限定します)

 

ストーリーの面白さや世界観の魅力は存分に語られてきていると思うので、少し違う方面からも書けたらと思います。