美香の雑記帳

洗礼を受けて5年のクリスチャンです。病気を色々抱えていて病気と信仰についてよく考えています。機能不全家庭に育ったACでもあります。

褒められやすい場所

ツイッターっていいねやリツイートで自分の言論の価値が可視化されやすいし、すなわちちょっと危険な意味での承認欲求が満たされる場所で、何か難しいなあと思ったりする。

CSルイスが言ってたんだけど「褒められるのを喜ぶことは自然だが、自分は立派なのではないかと思い始めることに悪魔の罠がある」って…。難しいなあ

褒められるのを喜ぶことと自分は立派なのではないかと思うことの区別ってなんだろう。

「知識は人を昂らせ、」という聖書箇所を鵜呑みにして知識を避ける人なんていないよね?

としたら、「褒められるのを避ける」というのも同等に不自然なのではないか?

わたしは文章を書くのが好きで、義務教育時代から結構褒められてきたのでそこに自分のプライドがあると思う。

プライドや驕りは捨てたい!でも自分の文章を「好き」って言ってくれる人がいて、それはとても嬉しかった。

自分なんかの文章で癒される人がいるんだ…って。

プライドや驕りは捨てれたとしても、誰かに否定されても、わたしはこう言えたらいいなって思う。「わたしは、わたしの文章が、好き」。

PS:そしてマリみてにはこんな名言がある。「必要以上に自分を高く見せる必要なんてないの。でも、持っているものを隠すのはもったいないことでもあるわよね?」